森中 定治 (日本生物地理学会会長)
香山 リカ (立教大学現代心理学部)
神野 直彦 (東京大学大学院経済学研究科・経済学部)
日本生物地理学会は,昭和3年(1928年)に鳥類学者の蜂須賀正氏と当時生物地理学の第一人者であった渡瀬庄三郎によって, 世界で2番目に設立された.
蜂須賀正氏は自然科学者,冒険家であっただけでなく ”型破りの人” として多くのエピソードを残した, 自己の信念と哲学に基づいて時代を駆け抜けた人であった. 渡瀬庄三郎は,区系生物地理学における旧北区と東洋区の境界を示す”渡瀬線”によってよく知られている. 特定外来生物として昨今問題になっているジャワマングースを移入したが, 当時困っていた野鼠やハブの被害を防ぐために生物学の知識を社会に役立てようと 積極的に活動した強いパワーの持ち主であったことは否めない.
日本生物地理学会のもつこのような歴史を考えたとき,学問としての枠に留まることなく, 生物学を社会に役立てることができればと思う.生物学に関するフォーマルなシンポジウムの他に, このミニシンポジウムをもつのはこのような理由による.
昨年は元国連軍縮会議議長の猪口邦子先生に, 現代社会における戦争や地域紛争の実態と日本が世界の舞台でどのように主張し, 行動したかお話し頂いた.細やかなかつ強い意志,また実直さを強く感じたお話であった. ヘーゲル哲学者の加藤尚武先生からは, ローマクラブからの報告以降人類が資源と環境において未曾有の危機に対峙していること, これをどのように乗り切るかその示唆を頂いた.現代以降の社会では,人間の生産した”産物”,”製品” の有用性を考えること,つまり消費の内容を区別する視点が必要となること, 供給が需要によって強く制約されるというお話であった.
人類はどこから来てどこへ行くのか.人類の出自は”いのち”,つまり生物/動物である. 到達点は知らないが,その地に導くものは人類だけがもつこの大きな頭脳,つまり理性であろう.
このミニシンポジウムシリーズを始めた当初の主題のひとつが,人が自然(環境)を変え, その変えた自然(環境)が人を変えるということであった.汚れた湖に取り戻したいのは何? と聞くと,10〜20代の若者も50歳以上の中年やお年寄りも総てを含めて”きれいな水”という答えが返ってくる. 総ての世代に共通して第一の願いは同じである.しかしかって湖には魚や蟹やトンボやさまざまの動物が生息し, 周辺にはいろいろな植物があった.取り戻したいものとして,年配者はそれらも思い浮かべるが, 若者は既にそれらを思い浮かべることができない.
生れ出たときよりコンクリートと鉄柵で囲まれた川を見て育ち,バーチャルなゲームを最も身近な友として幼年期, 少年期を過ごす現代の若者に,湖にはこんな虫がいた,こんな草や木が生えていたといっても実感があろうはずはなく, むろんそれらを望むこともない.生物は減少しつつもいることはいるが意識されなくなり, おそらく無意識下にも影響を及ぼさなくなるであろう.つまりは生き物のいない, ただどこまでも澄んだ水だけがある湖が欲しいものとして合意されることになる.
人類は,利益を見出しそれを自分個人が獲得することを背景として,川や湖を加工し, さまざまな機器を創りだして利便性を図ってきた.すなわち, 変わりゆく社会のダイナミズムの背後に経済のダイナミズムが横たわり, それが社会の変化に意識下にも無意識下にも強い影響を及ぼしている.
我々の創りだした物,環境が我々を変えるという視点は重要である.創りだすものを制御することによって, 変わっていく方向を我々自身が制御し得ることを示唆するからである.さらに,実際にどのように変わりつつあるのか, その変化を捉え,その裏にある実社会を動かしているものを見通す”目”は, その制御のために無くてはならない貴いものである.
今回は,現代社会と特に若者の心理の変化を対象として精神医学の視点から, また昨年来社会を揺り動かしている世界的な経済,財政の視点からお二人の演者をお招きした. リラックスして存分に縦横にお話し頂きたいし,我々もまたリラックスしてお話を拝聴したい.